2016年11月24日木曜日

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2016年11月15日火曜日

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17:03

尻尾とポケット

ある日、わたしの尻尾のさきっぽは人のポケットにおさまった。

それからとくに日常に変わりはないけれど、
遠出をすると尻尾がぴんとなって
ああ、ポケットに入ってるんだとふと思う。

尻尾を引っ張ると反応があるけれど、
あまり引っ張りすぎると抜けそうで、
そっと歩くようにしている。

たまに自分のポケットを見てみると、
灰色のほこりばかりがたまっていてなにもありはしない。
せめて裏返しにしてきれいにしてあげよう。

ポケットからはたいたほこりが、宙に舞って
キラキラきれいなのは、わたしの尻尾がまだ
人のポケットに入ったままだからだ。

移動できないことを楽しもう。

歩幅を調整する感覚を楽しもう。

コートの肩越しにしか見えない月を喜ぼう。

尻尾はポケットに入ったまま。
あのポケットに入ったまま


2016年11月10日木曜日

食前

空底

100

2016年11月5日土曜日

ゆずり葉

もう二年くらい書いてなかったらしい。

わたしは5年前から子供向けの塾をやっている。そこのモットーが、「子どもたちを守りすぎない」ということなんだけれど、サイトに書いてあるその言葉に注目してくれる人がいて、複数の人から「あれが気に入った」と言われることがあった。

このあいだ、どうしてそう思うようになったのかを聞かれて、ちょっと困った。子供を守りすぎてはいけない理由はいくらでも書くことができるけれど、どうやってそういう考え方に至ったかの来歴はすぐには言えなかった。私には子供がいないので、子供を育てた経験から来たものではない。しばらく考えて思い当たったのは、以下のことだった。


小学生の時、5年生の頃だったと思うけれど、中原中也の「ゆずり葉」という詩を読んだ。
この詩は、ユズリハという植物が、新しい葉が生えてくると古い葉が場所を譲るように落ちるのにたとえて、人間の親も同じように子供に世界を譲るのだと言う。
当時の私には相当に衝撃的で、この詩のことがしばらく頭から離れなかった。
そのうち親が死んでいくということを聞かされただけでも子供の私には不快だったし、自己犠牲の精神はさっぱり理解できなかった。
でも今になれば、この詩が真実を語っていることがわかる。親はいつまでも生きられるわけではない。望んでも望まなくても、子供には世界をそのまま放り渡すことしかできないのだ。


だからその人には、このように言った。
「子供の頃、ゆずり葉という詩を読んだんです。植物の葉っぱのように、親は子供が大きくなるとすべてを子供に託して死んでいき、結局子供の成長には責任を負えないのです。子供を守るという態度はそもそも不遜なものなのです。だから、責任を持ちすぎないという態度が大事なんじゃないですかね。最初は彼らを守るとしても、結局は彼ら自身が自分で生きていけるように放っておくのが大事だと思います。この詩を読んだ当時は全然わからなかったけれど、どこか頭の隅っこにひっかかっていたんですよ。いつも頭のなかで繰り返していたら、今になって理解できたんだと思います。」



しかし、そう言ったあとで嘘だと気づいた。責任をとれないから守り過ぎはダメだ、というのではない。そんな消極的な理由では私の中の不思議な炎を説明することはできない。
私は、彼らを守るという努力そのものが無に帰すのを間近に見たいだけなのだ。
「守りすぎない」という態度こそ、彼らをもっとも高い確率で守ろうとするもっとも不遜な態度なのだ。そんな思い上がりこそ、子どもたちによって倒されなければならない。

わたしはまだゆずり葉を理解していない。

2014年12月8日月曜日

どうでもいい

自分が何者だったか
わりと忘れてしまった。 

世界の黒幕が誰だったのか
ほんのちょっとしか記憶に無い。

村の村長が誰かだって
ああ、それは最初から憶えていない。

そんなことどうでもいい。

コール・ハーンとボルグ・ハンが
半分のハンとは違うって
今知ったと思っていて。

雨を希求するこの心が曇りの日に生まれたと知って。

そんなことどうでもいい。

ただひとつ、わたくしのスリッパがわたくしの床に
いま接していることがが事実ならば

それでいい。

2013年3月29日金曜日

川口 / KAWAGUCHI


わらび

川口 / KAWAGUCHI


川口は足立区の隣である。
さいたま市の隣ではない。

2012年8月1日水曜日

祖母のこと(「ついで」に祖父のことも)


もうふた月も前のことになってしまったけれど、母方の祖母がなくなった。
地元名産の桧(ひのき)笠づくりが得意な働き者の祖母だった。
5月に100歳を迎えたばかりで、私が最後に会ったのがその誕生日の日だった。
その日は意識もはっきりしていていろいろな昔話が聞けた。


この祖母には名前がふたつあった。「やち」と呼ばれることもあれば「かち子」とか呼ばれることもあった。祖母の父親が、町役場に名前を届けに行ったとき決めた名前をうっかり忘れてしまい、違う名前で登録したのだ。
100年前の日本は今と違ってずいぶんゆっくりしていたのか、どちらかに決めてしまうこともせず、人によって好きな方の名前で呼んでいたらしい。


これが少女の時分の祖母。祖母だけ切り抜いても良いがこのほうが雰囲気がわかる気がするのでそのままにしておく。

「オレは勉強はできたぞー」と誕生日にもさかんに繰り返していたけれど、
たしかに利発そうな顔をしている。私がおぼえているかぎり、ふだんの発言にかしこさを感じさせる人だった。
それでも時代が時代なら信州の山村という場所がらもあって、たいした教育をうけることもなくごく若い時分から働きに出たようだ。
最後の10年余りを暮らした老人ホームでの口癖は、
「オレばっかこんな楽してたら悪いよー」だった。働かなくてもご飯が食べられるのが
もうありがたくてありがたくてしょうがないというふうだった。この地域の老人は、男性でも女性でも自分のことを「オレ」という。

そんな祖母が出会ったのがこの籠(かご)職人の祖父である。これもやはり周りが写ったものを。

祖父の若いころの写真は見たことなくて、葬儀のときにこの集合写真を発見したのだけれど、ひと目でどれが祖父かわかった。若い頃でも、私の知っている祖父そのままだったからだ。
こんなに性格がそのまま顔に出る人はいないと思う。「愛嬌のある不良」という人だった。
私が小さいころ、近所に住んでいる祖母の家に行くと、酔っ払った祖父はいつも一升瓶を抱えながらこう言うのだ。
「あきらー。おまえ、橋の下に捨てられとったんだぞ。覚えとらんのか?」
私の顔は異常なほど母親に似ているのでそれが事実でないことは理解していたのだけれど、
幼い私はすこしいじけて、祖母の作ってくれる煮物や漬物やらの素朴なご飯でまぎらわしていた。

祖父は酒が大好きなくせにそんなに強くはなかったようだ。いつもどこか外で酒を飲んで潰れては家族が迎えに行っていた。そういうときは気が大きくなっていて、有り金を見ず知らずの人に全部あげてしまったりするのだ。町の全家庭に備え付けられたスピーカーから、「道端で酔って寝ている人がいます」という町内放送が聞こえてきて、やはりそれが祖父だったというのが数回あった気がする。
その祖父は私が中学の時に亡くなった。

この写真はその数年前のものだと思う。

わたしをいじる祖父のイメージと、美味しい味噌汁をごちそうしてくれる祖母のイメージは重ならないものなのだけれど、きっと仲はとても良かったんだと思う。ちょっとひねたふうな変わり者の祖父と、彼を貶すわけでもなく、盲信するわけでもない、絶妙な視線で支える祖母のさまがこの写真にとても良くあらわれている気がする。

100歳の誕生日の日、わたしが祖母にいちばん聞きたかったのは祖父とのことだった。祖母は躊躇することなく答えてくれた。
「鶴松さんはいい人だったよー。性根が良かった。」
-どっちが好きになったの?
「オレも惚れたし、鶴松さんも惚れたんづらよ」

かち子おばあちゃん、鶴松さんはそっちでもお酒飲んでるのかな?
あの味噌汁の作り方を習っておけば良かったよ。
もう一度、飲みたいよ。

2011年10月5日水曜日

Liaison

2011年9月26日月曜日