2008年12月20日土曜日

木綿のハンカチーフ

ノートPCの2ndHDDを復活させたので、二ヶ月ぶりにiTunesが聴けるようになった。
で、何を聴いているかというと椎名林檎の『木綿のハンカチーフ』。
『歌ひ手冥利』というカバー曲ばかり集めたアルバムに入っている。このアルバム、タイトルのごとく椎名林檎が好きな曲を好きなように歌っている。そのやりたい放題さがこの曲にはとても合っていてすばらしい。

ご存じの通り、この曲は「東へと向かう列車」で都会に出た男の子と、彼が田舎に残した彼女とのダイアローグから成り立っている。椎名林檎はこの二人をやりすぎるくらい歌い分けていて、それがこの曲に見事にはまっているように見える。

二人のダイアローグは常に男の子から始まる。彼は「都会ではやりの指輪」や「スーツ着た僕の写真」を送ろうとしたり、どこか浮ついている。彼は彼女と彼女がいる場所を正しく見ていない。都会風の指輪を田舎の彼女が喜ぶと勘違いしたり、自分のスーツ姿が彼女にどういう感情をもたらすかを理解していない。
この男を椎名林檎は実に軽薄に演じている。だから太田裕美のバージョンでは聞き流すことができていた男のバカさがとくに耳につく。

しかしもっとすごいのは田舎の女の子のほうかもしれない。この曲の歌詞の白眉は彼女の発話がいつも「いいえ」で始まるところにある。これがあるために、彼女が最初から彼のことを見抜いているのが鮮明になっている。きっと彼女は、田舎に二人でいたときから彼のことを見透かしていた。目の前の男が自分を正面から見てないこと。彼が結局都会から帰ってこないこと。
椎名林檎は、この醒めた彼女を情感たっぷりに歌っている。これがまた椎名林檎らしくない、ひどく女性らしい声なのだ。自曲を歌うときとは声色まで違う。「もっと中まで入って」(『本能』)と叫ぶ人物とは思えない。
だから太田裕美では聞こえてこなかったものまで聞こえてくることになる。
この女性はたぶん彼の軽薄さを利用していたのだ。モノの見えない彼であれば、遠距離恋愛がうまくいかないことに気づかないだろう。彼女の不安な気持ちに気づかないだろう。だからこそ彼ら二人は恋愛を続けることができる。

理解している人が理解していない人に実は依存しているというこの構図、案外どこにでもあるのではないか。

2 件のコメント:

takebow さんのコメント...

彼女の武道館ライブの映像を見ました。学生運動の闘士を彷彿とさせるハンドマイクで歌をガナっていました。でもその本質は、ジャニス・イアンを愛する声の美しいアーティストなのを僕も知ってます。

anoato さんのコメント...

師匠コメントありがとうございます。
私は椎名林檎は詩人だと思っていたので、声に魅力を感じたのはこの曲が初めてでした。